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2023年8月17日
1962年8月、院長の恩師より開院祝いにいただいたモノクロの画は、61年経った今も大切に外来に飾られています。
タイプライターで打たれた文字に、懐かしさと時の流れを感じます。
この画は、精神疾患患者を鎖から解き放った初めての精神科医として知られるフィリップ・ピネルが、パリのサルペトリエール病院で、実際に女性患者を鎖から解放する場面を描いた、フランスの画家トニー=ロベール・フルーリーの作品です。
18世紀当時のパリでは精神疾患は、病気として認識されておらず、患者の人権は軽視され、その入院環境は劣悪でした。
1792年、ピネルは精神疾患患者が囚人と一緒に収監されていたビセートル病院に赴任します。
そこで長い年月を閉鎖病棟で過ごすジャン=バティスト・ピュサンという人物に出会い、多大な影響を受けます。
そして、翌年には閉鎖病棟からの精神疾患の患者の解放を実現しました。
その後サルペトリエール病院に移ったピネルは、1795年に閉鎖病棟の改善とホスピスの開放病棟化という、当時では画期的な改革を行ったと言われています。
ピネルは、親友が精神疾患を発症したことを機に、専攻を骨格研究と外科施術から、心理学的精神病理学医へ転向したと言われています。
自身の信念に基づき、患者の人権を最も重視したピネルは治験ではなく、臨床による理学療法を重んじ「人道的精神医学の創設者」となりました。
当院の開院に合わせて、この画を贈って下さった京都府立医科大学の精神科医である院長の恩師は、「ピネルの精神に寄り添って、患者様と向き合い日々努めてほしい」との「想い」を託されたのではないでしょうか。
今となっては知る由もありませんが…
精神病院の歴史を遡ると、1247年に設立されたイギリスにある王立ベスレム病院が世界最古の精神病者の保護施設で、元は”St.MaryofBethlehem”という名の修道院だったそうです。
当時の病院は、多くが修道会や慈善家によって設立、運営されていました。
日本では1879年(明治12年)ドイツ人の医師エルヴィン・フォン・ベルツにより、日本の大学で初めて近代精神病学の講義がはじまります。
当時の日本は、精神疾患を有する者を社会にとって危険であり、監禁の対象であると見なす風潮がありました。差別や偏見があり、家族も家に隠すなどして表に出したがらなかったのです。
1900年(明治33年)に制定された精神病者監護法によって、自宅の敷地の一角に座敷牢と呼ばれる小さな小屋を作り、その中に精神疾患を有する者を閉じ込めていました。警察の許可を得れば、私宅に監置しておくことが出来た時代でした。これは1950年、戦後になり精神衛生法が成立し私宅監置が禁止されるまで続きます。
滝や温泉の付近の寺院や神社では、滝に打たれたり、温浴などの「水治療法」と呼ばれる民間療法もあったようです。
1901年(明治34年)日本の病院改革はピネルの影響を受けた呉秀三によって、もたらされました。
1918年(大正7年)呉秀三の「精神病者私宅監置の実況及び其の統計的観察」という論文にある『わが邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦(くに)に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』という一節は、その後の精神医学界においても名言として脈々と語り継がれています。
近年、精神科病院を取り巻く環境は厳しさをましています。
胸が締め付けられるような事件や事故もたくさん起こっています。
我々精神科医療に携わる者は、今一度ピネルの精神に立ち帰り、『不幸を重ぬるものと感じさせてしまわぬように』患者様と向き合うべきだと自戒しています。
今回、開院61周年に寄せて、当院の各部署から「これからの10年」というテーマで抱負を書いてもらいました。
病棟スタッフからは「患者様が自分らしく療養できる環境づくり」や、「社会復帰のサポートを目指したい」という言葉が寄せられました。また、栄養課スタッフからは「日常の楽しみの一つとなるようなメニューの提供」、作業療法課スタッフからは「患者様の主体性を大切にしたい」という言葉が寄せられました。
これからもピネルをはじめ、精神科医療の発展、近代化に取り組んだ先人たちの意志に想いを馳せながら、スタッフと共に歩んでいきたいと思います。
事務長 小西